[第47話]明治のハイカラ飲料 越後ノ牛乳事始メ

 明治初年、文明開化は日本の食文化にも変化をもたらします。明治政府は日本人の体格向上のため、総合的な栄養に富み、西洋人が好むという牛乳の消費を奨励しました。明治3年(1870)、日本で最初の牛乳店が横浜の前田留吉によって開店しました。その翌年の明治4年(1871)には、さっそく新潟県でも乳牛の飼育が始まります。

 現在の新潟県域では、まず相川県(現佐渡市)で乳牛の飼育が行われました。佐渡ではそれまでも牛の飼育が盛んだったことから、乳牛への移行も他地域より比較的に容易であったと考えられます。さらに、当時佐渡金山には御雇おやとい外国人技師たちが居り、彼らのためにチーズやバター等の乳製品の需要があったことも、佐渡でいち早く酪農が始まった一因と思われます。佐渡の酪農事業は順調に伸び、明治6年(1873)には100頭以上の乳牛が飼育され、新潟市の要請に応じて乳牛4頭を移出しています(資料「牛乳買入れについて」)。

 明治17年(1884)には佐渡牧畜株式会社が設立されました。また、少し遅れて、佐渡だけでなく新潟県各地でも酪農業が開始されました。

 さて、このように需要が伸びた牛乳ですが、当時主に牛乳が消費されていた場所は一般の家庭ではなく、病院でした。牛乳は薬として飲まれていたのです。

 やがて明治後期に入ると、一般家庭でも牛乳を飲む習慣が広がります。しかし、この頃は今のように電気冷蔵庫が普及していなかったので、毎朝牛乳売りが新鮮な牛乳を配達していました。資料「牛乳配達表」からは、1日に1合(約180ミリリットル)の牛乳が配達されていたことがわかります。コップ一杯分ほどですから、やはり嗜好品というよりも、健康飲料としての需要と考えた方がいいでしょう。大量の牛乳が消費されるようになるには、冷蔵装置の発達する1950年代以降を待たなければなりませんが、毎朝配達される新鮮な牛乳、という販売方法は明治時代に確立していたことがわかります。

 現在、加工品も含めて、牛乳は私たちの食生活に欠かせない食品となっています。約140年前に始まった、牛乳で栄養をつけ丈夫な体を作るという保健衛生思想と、酪農という新たな産業の奨励は、私たちの食卓を大きく変化させました。

明治6年6月22日「牛乳買入れについて」
【明治6年6月22日「牛乳買入れについて」】(請求記号 佐渡郡役所文書No.356)

明治39年6月「牛乳配達日表」
【明治39年6月「牛乳配達日表」】(請求記号E0210‐33‐38)